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腸閉塞で危ないところだった

20181102079.jpg2023.11.22(水)晴れ
 余命6か月を告知された胃がんは何のお蔭か3年経過してCT異常なしで経過、体調も良く仕事に復帰さえも果たすことができたと、調子に乗ってムリをした結果か11月5日腹部に激痛が走った。日曜緊急外来で奈良医大へ。
 「腸閉塞」と言うことで入院、鼻から管を通して腹部内容物を取り除いたが激痛収まらず、即手術。運が良かったのか休日なのに手術のメンバーも麻酔の先生もおられて全身麻酔で手術台へ。翌月曜日は手術予定が詰まっているようだった。

 早朝2時に手術終了、ナースステーション横の特別室ベッドで朝を迎えた。原因は3年前胃がんの手術で隙間ができたところへ腸が進出、腸閉塞を引き起こした模様。
 まだお腹が痛く体調も今一つだったが早めの退院で今自宅療養中。せっかくがんを克服しつつあるのに、腸閉塞で危ないところだった。

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あれから3年

2023.7.22 (金)晴れ     (写真をクリックしてください)
 2020.7.21胃 2/3の切除手術、8月 退院して初めての通院でまさかの 余命6か月告知。IMG_0109.jpg
あれから終活に明け暮れ丸3年経過した。毎日の生活はあまり変わらず、周りはまだ病人扱い。最近になって体力にも自信が出てきて、長く続いているOBの飲み会には数回参加。主治医から「乾杯のカップ1杯」の制限付きではあるが。
 復活へ助走を始めたそんな折り、期間限定の地方公務員の募集があり登録をしていたところ仕事の打診あり。また3年以上前に顧問登録していた会社から今頃になってオファーがあり、業界大手の某企業の顧問として営業の仕事を少し手伝うことになった。
 これらがうまく行けば大きな自信となり社会復帰を果たすことができると信じている。
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胃がんが見つかっておおかた丸3年

2023.6.9(日)くもり時々雨 IMG_0008'.jpg
 胃がんが見つかったのは2020年の6月でおおかた丸3年になる。胃の2/3を摘出する手術が7月、そして8月にはステージ4、余命6か月の告知。

 今年4月の下旬から5月中ごろにかけて「胃」の調子が悪かった。見つかったときのようなグルグル感、胃の重さ、食べたものの逆流などなど。5月下旬に胃内視鏡検査が控えていたので、再発の恐怖が頭をもたげる。あの時がんが見つかったのも胃カメラ、半分は覚悟してカメラを飲んだ。

 6月初旬、主治医から胃内部の映像を見ながらの説明。胃の写真は私が観てもきれいで、医師からも「異常なし」の診断が下った。不思議なもので結果を聞いた翌日から体調が良く、気分も前向きに。

 
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市川猿之助報道 死とは?

2023.5.24(水)晴れIMG_0625.jpg

 歌舞伎界の鬼才市川猿之助の事件(事故?)に大きなショックを受けた。「生まれかわって・・・」というような遺書らしいものが見つかったという。

 私自身 6 か月の余命告知を受け、一度は覚悟して死ぬまでにと終活のみに頑張った。そして目の前の「死」というものに向き合い、「死とは?」についていろいろ考えた。
 死後の世界とは? あの世はあるのだろうか、亡くなった人に会えるのだろうか?

手術の時、全身麻酔で 5 時間強眠っていた、というより死んでいた。痛くも痒くもなく夢も見ていなくて「無」だった。あの時、身体を真二つにされて、殺されても何も感じなかっただろう。あのまま死んでいたなら、死んだことさえ分からず死んでいたのだろう。死とはあれに似たものなのだろうか、つまり「無」なのか。いや猿之助が思ったように「生まれ変わる」ことができるのだろうか。
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「死んでたまるかYES!!!」

2023.4.29(土)晴れ2ZyuJzHc_400x400.jpg
 全身がんの高須クリニック かっちゃん院長の動静を twitter で見ることが多い。
何度も手術しながら克服し、一度は「がん消滅宣言」をしたものの、再発。同い年のかっちゃんは「食えるうちは死なない」「死んでたまるかYES!!!」などと発信し、我々がん患者を励ましてくれている。最近では膀胱がんの手術後も元気そうな姿を見せておられる。
 私の免疫・遺伝子治療も保険対象でないので、貧乏人の私にとってはかなりの出費。大金持ちのかっちゃんなので、金に糸目をつけない治療をされているのだろうが、克服されて政治的信条の「保守的活動」や、篤志家としての活躍を期待したい。

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3度目のさくら

2023.3.23(木) 曇りのち雨IMG_9995.jpg
3月14日産経夕刊の「ビブリオエッセー」に掲載されました。
 余命6か月を告げられ、一時は覚悟した時期があった。そこから生かされて2年半。辻邦生作の小説「西行花伝」にまつわるエッセーのなかで 今年春 3度目の桜を見ることが出来そうだ」との気持ちを書いた。

ビブリオ2023.3.14.jpg
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術後2年半

2023.2.21(火)晴れ 強風
2月は結構忙しい。
 3日(金)八尾MOT会 八尾支店時代の6名がキタのフグ屋さんに私のがん快気祝(と言っても寛解というわけでなく進行が止まっている状態)で集まってくれた。IMG_9781.jpg
 次長だったOさん、課長だったTさん、渉外だったFさん、Tさん、Wさん。課長だったTさんは東京から、執行役員になっているFさんは出張先から。支店以来会ってない人もいて時間の経つのも忘れて話が弾み帰りは最終特急に。
  6日 奈良医大CT検査、
 16日CT所見。
 21日大阪がんクリニック。IMG_9831.jpg
医大のCTコピーをがんクリニックへ持参、医大もがんクリも「胃や肝臓にがんは見られなく、腹膜の播種も映っていない(大きくなっていない)ということで一安心。
余命半年が、おかげで生かされ今月で2年半経過。がんはたいてい5年生存をめどにしているが半分クリアした。
 

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100歳以上生きた世界の人々の共通した22カ条

2023.1.25(水)雪のち晴れ

 アンチエイジングの先駆者としてTV出演も多い、若くてきれいな日比野佐和子先生 https://yss-clinic.jp/doctor/ がおられる、阪大卒 眼科医・皮膚科医。いま「写真のキタムラ」を率いるわが友の主治医でもある。hibino.jpg
 私も1度だけではあるが電話で直接お耳にかかったことがあるが、先生のある講演のなかで、末期がんの治療についての例として、匿名ではあるが「私の事例」を語っておられた。私が治療を受けているがんクリニックの武田先生の免疫療法と、東京の中村祐輔先生の遺伝子療法がいま最強のコラボであると。
 その講演の中で「100歳以上生きた世界の人々の共通した22カ条」を掲げておられたのでご紹介したい。

1.  生きるという意思、年老いていく事への勇気づけ
2.  順応性(適応能力)
3.  生きる事への目的意志
4.  活動的
5.  積極的な態度
6.  ストレスや悩みを抱えない
7.  ストレスへの対応
8.  自己決断力
9.  すばらしい考え方
10. 高い教育・教養
11. 社会的なつながりに対して積極的
12. 愛情と友情
13. 若いころの性的活動
14. 親密な家族との生活
15. 自由への意志
16. 100歳精神
17. 年に対して鈍感
18. 誠実な精神
19. 信仰や価値観を受け継ぐ
20. 安定した仕事のリズム
21. 安定した1日のサイクル
22. 満足のいく睡眠

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スターティングノート

2022.12.23(金)雪IMG_9546.jpg
「人間いつかは死ぬ、必ず死ぬ」ことは誰もが理解している。しかし自分の場合は何時(いつ)なのか?を深く考えたことなどなく、何の根拠もなしに「80ぐらいまでは生きるだろう」と思っていた。そんな76歳を目前にしたある日「進行性胃がん」がみつかり、胃の2/3を摘出する手術には成功したものの、腹部全体に播種が転移していることがわかり、主治医から余命を告げられることとなった。
「あと半年」は、かなりのショックではあったが、これを機に死ぬ時期と死ぬ場面が頭に浮かび、「死」について考えるようになった。

「告知」は死の宣告に等しく、下手すれば精神的なダメージでがんと闘う気力をなくしてしまうかも知れない。それでも余命を告知するようになったのは「残された時間を有意義に過ごすため」なのだろう65歳ごろから「エンディングノート」を創っていた。これはある意味私にとって「魔除け」のようなもので、そんなに早く必要になるとは思ってもみなかった。

 人生の「多くない残された時間」に何をなすべきか? を考えた時、まず浮かんだのはカミさんの混乱を最小限にするため「エンディングノート」の完成を急ぐことだった。
最近ではイメージの悪いエンディングではなく「スターティング」というポジティブな名のノートが出現している。
 あれから2年4か月経っても、おかげで生かされている。今では「余命告知」はがんとともに生きるための「スタート」だったのだと思うことにしている。


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談山神社の段々

2022.11.14(月)曇り   IMG_9305_edited-1.jpg
 12日土曜日飛鳥路と多武峯談山神社へ、天気は上々汗ばむぐらいの暖かさだった。
70歳を過ぎてからビジネスで知り合い、親しくさせていただいている豊中のFさんと。見舞いがてら来ていただいた4月には今井町を歩いたが、今回は私の車で。近所の買い物等雑用以外で車を運転したのは病後初めて。

 その日は絶好の行楽日和、汗ばむくらいの暖かさだった。談山神社の紅葉にはまだ早いと思い、まずは飛鳥路石舞台へ、近くではイベントの野外コンサートをやっていた。あと日本最初のお寺飛鳥寺へ、今まで何度も前を通りながら寺内の拝観は初めて、僧の案内でこれも日本最古の飛鳥大仏さんに手を合わせた。

 この後の多武峯談山神社のモミジは思ったより紅葉が進んでおり、境内の急な階段を昇り、てっぺんの舞台までたどりつくことができた。紅葉の鮮やかさに酔った二人は多武峯観光ホテルの5階展望室でコーヒーを飲みながらしばし談笑。
 Fさんから「あの階段を昇りきる体力がついてきている」ことを言われ、また一つ自身が付いた1日だった。


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3年ぶりの三水会飲み会

2022.10.24(月)晴れ IMG_9166.jpg  いろいろあってちょっと日が経ってしまったが、先月27日医大で、胃がん発症から満2年の検査があり、今月6日結果を聞きに行きました。「CTを見る限り胃がんは見つからず、腹部播種も今のところは抑えられている」との主治医の所見、ほっとした瞬間だった。  アルコール類については、飲まない方が良いが、食事会などの乾杯の一杯くらいは可との事。 楽しみにしていた10月19日、三水会へ3年ぶりの参加することができた。この飲み会は20年以上も前から銀行OB有志で毎月水曜日にミナミの飲み屋で行われていた。コロナの期間と私の入院・通院と重なり、他のメンバーの方も3年ぶり。  今回はコロナ対策もあり、上本町シェラトン都で昼食会で参加11人、皆さんからお見舞の言葉をもらい、もう会えないかもしれないと思っていただけに、不覚にも涙が。
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満2年の検査結果を聞くのはやはり怖い

2022.9.25(日)晴れ IMG_9045.jpg
コロナ禍のがん療養で、歩けなくなるのが一番怖い。「いかに楽しく歩くことができるか」が大事である。寒くも暑くもなく、よく晴れた日などは自然に足が向くことになるが、そうでない日は億劫な時もある。雨の日と日曜日は歩かないことにしているが、「しんどいから」や「曇っているから」でやめてしまうと、余計しんどくなる。

 だいぶ前から「散歩deカシャ」の題で、自然や道端の花などを撮ってSNS(主にFaceBook)に投稿している。退院直後は歩くことなど到底無理で、大阪のクリニックに行くのに家からタクシーで向かったことも。散歩を初めて当初は1000歩ぐらいがやっとだったが、少しづつ距離を伸ばしていきそのうち3000歩ぐらいになり、今では5000歩 歩かないと物足りないほどになっています。

 おかげで最近ではふくらはぎには多少の筋肉がついてきており、体重も50Kgを超えるまでになってきています。
 9/27術後満2年のCT検査。10/6主治医からの所見がある、結果を聞くのはやはり怖い。

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失われた体重

2022.8.23(火)晴れ時々曇り IMG_8690.jpg
 今月であの忌まわしい がん告知(S4余命6か月)から丸2年。来月には2年経過のCT検査を控えている。
退院直後は「骨川筋右衛門」。テーブルの椅子・ソファー等にあの「卵が割れない座布団」がないと座ることが苦痛。風呂に入るとき鏡を見るのが怖かった、湯船では尾てい骨が底にあたって痛い。

 まずは生きている間にしなくてはならないことを箇条書きに。歳の割にI T 好きの私は銀行はすべてネット取引、株式もネット売買、買い物はAmazon・楽天等々、クレジットカードも15枚以上あった、このままでは残されたカミさんが困る。告知当初の6か月は本当の意味での終活の日々だった。

 しばらくして抗がん剤治療が始まった。これ以上痩せることはすなわち衰弱しかない。
そこから体力をつけるための闘いが始まった。まずは「食う」こと、これは人1倍食べることに執着があることが幸いした。食うためには出さないといけない、抗がん剤の副作用で強烈な便秘そして下痢。30分以上かかっても出すことをあきらめなかった。

 抗がん剤を中止してもうすぐ1年、最悪42.8kgだった体重が50を超え、最近一時的に51に達した。



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何歳でがんならラッキーと思えるか

2022年7月26日(火)晴れ IMG_8747.jpg
 島田陽子が喜寿を待たず亡くなった、死因は大腸がん。3年前にがんが見つかったが、進行が遅かったことから手術と抗がん剤投与をしない治療を選択していたらしい。

 私自身今月21日に術後2年経過し、9月には満2年の検査を控えている。今のところほぼ順調に推移しているものの、癌を患っていること自体メンタル面の振幅はある。体重が順調に戻しているときはいいが、少し減少すると落ち込んだり、病気前だったら何ともないことでも気になることが多い。

 がんで亡くなる人は2人に1人と言われる。よくよく考えてみると若い時や、熟年でというのはつら過ぎるが、80を過ぎてなら「幸運」というべきなのかもしれない。私の場合75歳だったが、その時はやはりショックであった。これで80まで生きることが出来たら、その時果たしてラッキーと思えるかどうか。
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白い便

2022.6.24(金)晴れIMG_7643.jpg
 5月23日医大の胃内視鏡検査(胃カメラ)、6月2日所見「胃の中に新しいガンは見つからず」で一安心。
 と思ったとたん昨日から「白い便」。赤い便なら痔で経験あるし、胃潰瘍などどこかが切れての出血と思える。黒いのはタール便、鉄分補充の薬服用で経験。

 バリウム検査後のあれによく似た白い便、今まで経験なし、ネットで調べたら色々出てくる。怖いのは転移しての胆のうがん?。

 そうだ最近かかりつけ医の診断で鉄分補充の薬止めたばかり。これの反応か、きっとそうだ。病院行くべきか? 9月27日、手術後満2年のCT検査を待つべきか。


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3か月ぶりのがん病院

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2022.5.26(木)晴れのち曇り
 がん関係の病院から少し遠ざかっていたが、今月17日は大阪がんクリニックで3か月ぶりのペプチドワクチン(免疫)注射。23日医大の胃、内視鏡検査があり、来月2日に結果が出る。あと2か月で手術後満2年、これはクリアできそうだ。

 私の場合入院・病後の自宅療養で行動が制限されている、飲めない、カラオケ出来ない、旅行もできない。しかしこのことは病気でない人も多かれ少なかれコロナのため制限されている。他の人には悪いが私の病気は「コロナ禍下で良かったのかも知れない」などと思ったりもする。

 世の中が正常に動いているとき、他の人が旅行に行ったり、飲み会で楽しんでいたら、病気の自分がもっと辛かったかも知れない。


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高齢者免許更新

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2022.4.26(火)曇り
 先週18日の月曜日、運転免許証更新のための「認知機能検査」に行ってきた。75歳以上の更新にはこれが必要。コロナと病気でカミさん以外あまり人と話す機会がなく、近所の散歩以外 外出も控えており、多少の認知機能低下は覚悟。

 病気の後、運転そのものもほとんどせず、カミさんの運転で間に合わせていた。そのため免許の更新など頭の隅にもなかったが、気が付いた時には更新まであと4か月と迫っていた。免許返納も考えたが、運転するしないは別として、更新しておきたい気持に。

 76点以上は2時間講習、以下は3時間講習、49点未満は「医者の診断」となるが、検査は「2時間講習で」、との結果、ひとまず安心。


 
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死ぬまで精いっぱい生きる

2022.3.17(木)晴れ IMG_7015.jpg
 手術後1年8か月経つ。この間ほぼ毎月、がんの診察や治療を受けてきた。2月2日~5月17日まで3か月以上奈良医大も大阪のがんクリニックも受診がない、これだけ長いのは初めてで不安もある。抗がん剤も止めてもうすぐ半年になる。

 そんなとき、小中の同級生で一番仲の良かった友人からの電話に驚いた。彼もがんの闘病中で、部位は違うがともにステージ4からの闘病。4年ほど前中学の同級会での彼の自慢は「病院行ったことがない、風邪も引いたことがない」だった。

 電話中、多すぎる少年時代の思い出がよみがえり、ともに励ましあって長い電話を切ったが、二人の結論は「死ぬまで精いっぱい生きる」だった。
 

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西郷輝彦逝く、死因はがん

 2022.2.23((水)曇り時々晴 IMG_6636.jpg
 20日、歌手で俳優の西郷輝彦が亡くなった、75歳だった。2011年前立腺がんの全的手術、そのご再発。2021年5月にはステージ4の状態で、日本で未承認のがん治療を求め、オーストラリアへ。8月にはがんの8割ほどが消えていたという報告もあったらしい。
 
 橋幸夫は一つ上、舟木一夫は同い年、西郷輝彦は二つ下。私と同年代のスター御三家の1人が逝った。60年代先ずは橋幸夫が潮来笠でデビュー、次舟木一夫が高校3年生で、そのとき私も高校3年生だった。そしてなんば一番でバンドマンをしていた西郷輝彦が君だけをで。

 オーストラリアで先端医療を。ちなみに私は先進医療の免疫遺伝子療法、共にステージ4だった。いま私は小康状態、しかしがんというやつは・・・ご冥福をお祈りします。


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抗がん剤止めて初めてのCT検査

2022.1.24(月)曇り時々晴IMG_6686.jpg
 20日木曜日、前週撮った造影剤入りCT結果を聞きに医大へ。抗がん剤止めて初めてのCT検査、4か月経過しているので再発の可能性で気が重い。

 腹部の写真を見せてもらいながらの結果説明は「肝臓などに転移している様子もなく、前回と変わらず。腫瘍マーカーも数値に異常見られない」との所見、ホッと胸をなでおろす。来月で術後1年半、5月には胃カメラ検査との事、はじめてがんが見つかったのも胃カメラ、今度は何もないように。

 腹部に広がっているという「播種」というやつはCTぐらいでは見えない小さなものらしい。無くなっているとすれば全快となるのだろうが、確認するためにはもう一度切腹して病理で調べるしかないらしい。結論はがんとの「共存」で生きていく、これしかないのだろう。
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友遠方より来る

2022.1.10(月)晴れ  IMG_6198.jpg
 新年8日、東京のビジネス界で活躍中のTさんが我が家に見舞いに来てくれた。
何年ぶりであろうか同じ職場で仕事をしていたころ、支店のメンバーが我が家に集まり「新年会」を催していたことがありました。

 Tさんはその後企画部で重要な仕事をしていたが、銀行が合併後しばらくして東京へ転職していった。個人資産の管理運用を目的として、設立した会社に入社。その後代表者となり、収益不動産の保有を中心にその周辺事業でこの会社の業容を拡大していき、その手腕を買われて大手企業の№2に抜擢された。
 そして今また異業種写真業界最大手企業のかじ取りを行っている。

 彼のかかりつけ主治医(テレビにもよく顔をだす有名な美人女医でアンチエイジング分野の先端を行く医学博士)の紹介で、大阪の「がんクリニック」の門をたたくことができた。おかげで化学療法で行き詰まり、助かる可能性は1%とまで言われた私に、先進医療の「免疫・遺伝子療法」があることを示唆してくれ、絶望感の中に一筋の光明が差し込み、生きる望みとなりました。
 おかげで半年の余命だったはずが新しい年を迎えることができ、もうすぐ1年半を迎えようとしています。

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「お陰」で生かされています

2021.12.29(水)曇り

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今年8月、ムリだと思っていた喜寿を迎えることができ、今また昨年超えるのが精いっぱいだった年の瀬を越え、孫たちと会えることが出来そうです。

「生かされている」誰の? なんの? お陰で。
「化学療法の抗がん剤」
「先進医療の免疫療法・遺伝子療法・温熱療法」
「毎朝のニンジンすりつぶしジュース」、「風呂上がりのヤクルト1000」、
「カミさんの献身・家族の励まし」、「肉親の思い」「孫の成長」
「友人知人皆様の電話やsnsによる励まし」
「自分の負けない気持ち・生きる意欲」、「食欲」
これらすべてが効いているのだと思います。

私を励ましてくださった友人・知人の皆様、親しくしていただいている方々。
多大の心配をおかけし、エールを送ってもらった姉妹・姪、家族・孫たち、
そして何より私を支え続けてくれている妻に感謝。

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負けてたまるか!85まで生きてやる

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2021.11.26(金)晴れ
 告知から1年3ヶ月、「がん告知余命宣告」は残りの限られた人生を有意義に過ごすためかも知れないが、かなり残酷な宣告である。人が生きていられるのは「夢や希望」があるからで、余命の時期を言われてしまっては悲しみと絶望感しかない。 

 何が私を生かしてくれているのか? 病院先生方の治療、カミさん家族兄妹友人すべての人の私への応援、私が持ってるたぐいまれな食欲に応えるカミさんの料理、毎日朝起きて飲むニンジンジュース、夜寝るときのむヤクルト1000、毎日私考案の朝の体操、日曜と大雨以外の散歩等々・・・・

 伊勢に「おかげ横丁」がある、何のおかげか?調べたらやはり神様のおかげ。私も神様はじめすべての「おかげ」としか言いようがない。
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抗がん剤をやめて1か月

2021.10.27((水)晴れ  IMG_6180.jpg

 抗がん剤をやめて1か月あまり。少しづつであるが副作用が軽くなってきている。まずはお腹、便秘と下痢の繰り返しが安定してきている。手や足の色素沈着が少し薄くなってきている。歩いたり少しの運動での「息苦しさ」が少し楽になってきている。涙目というか目の調子はまだつらい。
 
 これは副作用とは関係ないが、胃が1/3なので得意の?早食いができない。ソバなどよく噛んで食べていたのでは食った気がしない、どんぶりなどもかっ込むと後がしんどい。
 半面、「抗がん剤止めて本間に大丈夫か?」の不安は常にある。
しかしよく考えてみると、がんが見つかったときは誕生日前で75歳、今77歳。十分とはいえないまでも、かなり生きてきた。「人間いつかは死ぬ」、抗がん剤中止で万一命を縮めることがあっても、今は、「残りの人生を少しでも楽に過ごしたい」との気持ちが強い。

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抗がん剤をやめると言う選択肢

2021.10.3(日)快晴   IMG_6129.jpg
 先月29日、奈良医大で術後1年2か月、4回目の腹部CT検査。30日主治医から、腹部播種の「増長は認められない、進行は止まっている」との所見。

ただ、がんがすべて消えたわけでもないが、抗がん剤について投与開始後1年経過、普通同じ抗がん剤は1年が目安とのことで、続行するかどうかで問答。医師としては私の年齢も勘案した上で「止めてみる」選択肢を。

 私としても抗がん剤をやめる事のメリットとデメリットを考え、ストップを選んだ。メリットは何といっても副作用のしんどさの解消。胃腸の不安定・涙目朝起きた時、目を指でこじ開けないと開けられない・皮膚の色素沈殿・なにより体全体のだるさ・しんどさ。

 ただ怖いのは、いまはおとなしくしている「転移した腹部播種」が、抗がん剤を「止めることで暴れだすのではないか?ということ。病院も1か月後採血により様子を見ることに。

 私としては免疫・遺伝子など先進医療を拠り所に、抗がん剤をやめる事の決断に至った。。
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2021-08-27 喜寿

2021.8.28(土)晴れ   IMG_6014.jpg

 昨日8/27は私の誕生日。77歳を迎えることができた。facebookなどでたくさんの方からお祝いの言葉をいただいた。また息子家族4人連名で「胡蝶蘭」と、私の名前の「ひらがな」から詠んだ言葉の「額」が送られてきた。 彼らにとっても1年前の「余命告知」はかなりのショックだったに違いない。IMG_6016.jpg

 がん摘出以来の抗がん剤も今月で1年。1年は区切りらしい、続けるかどうかは9月末のCT結果で判断するとの主治医の話。抗がん剤の中止はありがたいことではあるが、腹膜播種が消えたわけでもないらしいので、止めるのが正解かどうかは判らない。

 シンピジウムやデンドロデユームは毎年咲かせているが、胡蝶蘭はもらった翌年も咲かせるのが難しい。つくづく思う、何とか咲かせて1年後も元気な顔を見せたいと。
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「初盆でお参りされる側」になってたかも?

2021.8.11(水)晴れ
 今日は朝からカミさんと 天の香具山にあるお墓へお参り。幸いお墓へ参る事ができたけど、余命告知から言えば「いまごろは私の初盆で、お詣りされる側になっていたかもしれない、という複雑な気持ち。

 帰りお昼はマクドで、いま盛んに宣伝しているハワイアンパンケーキとトロピカルジュースを。ハワイへは一度も行く機会がなかったが、何度か行っているカミさんからかの地の有名なパンケーキのお店のことを聞く。旅番組のテレビでも見ていたので一度は食べてみたかったが、マクドのものは美味しくはなく、量も少ない。 IMG_5907.jpg

 通院、医大へは6週間ごと、大阪のがんクリニックへは2か月に一回となってしまった今、ほっとした気持ちと「これで大丈夫か?」という、なんだか複雑な気持ちのこの頃ではあります。
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胃がん手術から丸1年

2021.7.22(木)晴れ  IMG_5856.jpg
 昨日 7/21 で胃がん手術から丸1年。昨年 7/30 退院後 8/6の初通院でステージ4、および余命宣告を受けることとなった。 今も生かされているのは、やはり先進医療の免疫・遺伝子療法のおかげであると思う。 

 コロナウイルスのワクチン・治療薬の開発状況を見ても。みな「遺伝子」「免疫」がかかわっている。 IPS細胞でノーベル賞の山中教授も、コロナ治療薬開発に関わっておられる。先生がTVで言っていた、コロナ治療薬に関連して「がん」も免疫療法の時代だと。

 ステージ4と言われたスキルス性胃がんの患者が、メンタルケアと食事で「8年生きて今も元気である」という記事を目にした。やはり「負けない」という気持ちが大事なようである。
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見納めだった?はずの「百日紅の花」

2021.7.14(水)曇り
 1 坪農園、今年のキューリ収穫は昨年の半分以下、トマトは豊作。IMG_5828.jpg
昨年は 4月の中旬ごろから、「今年野菜を植えるのは無理だ」と思っていた。たった1 坪とはいえ、耕し、石灰を入れ、たい肥や他の肥料を入れ、畝を創らなければならない。その頃は鍬を持っても3分も立っていられなかった。 それでも「恒例の夏野菜の収穫がないと寂しい」と思い、椅子に座りながら畑を作った。

 庭の百日紅(さるすべり)は今年も花が咲き始めた。昨年手術を終え、退院して初めての通院で余命の告知を受けた。その頃も百日紅の花が咲くころだった。花を観ながら思った「来年この花を観るのはムリなのか?」と。

 前にも書いたが、朝起きたすぐの「ニンジンジュース」・夜寝る前のヤクルト1000、化学療法「抗がん剤」、先進医療の免疫療法・ゲノムワクチン治療、温熱療法。カミさん、肉親、友人知人の励まし、そして自分の頑張りというより「食う執念」等々が生かしてくれている。
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延びた人生の使い方

2021.7.7.(雨)

 7/1の医大のCT所見は『CTに「腹膜播種」が映っておらず(成長してない)、癌の進行は止まっている』との事で、『映っていないということで、「播種がなくなっている」とは考えにくいので、抗がん剤は続けていく』との事。

 昨日のがんクリニックでも、CTを診て「がんの進行は止まっている」との事で、今後の治療方針としては「今まで毎月2~3回の通院ワクチン投与等を、順次減らしていく」との事でした。

 当初「余命6か月、長くて1年」が、今月21日で丸1年になります。
皆様の応援と励ましのおかげで、今も生かされています。伸びた人生、大事に使わなければと思うこの頃です。



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